人間の手が、まだ触れない。

誰に聞かせるでもない独白あるいは日々の戯言など

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「日本のデザイン2010」展に行ってきました

天気がいいのに部屋に篭って仕事しているのは勿体無い、ということで、以前から行こうと思っていた「日本のデザイン2010」展を見に、六本木のデザインハブへ行ってきました。書いているうちに日付が変わってしまったので、もう昨日のことですが。

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内容は下記公式サイトに詳しいので省略。モノを展示するというより、5人のキュレーターによる「デザイン」にまつわるプレゼンテーションを見せる、といった感じでした。

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仕事柄、キュレーターがセレクトした展示物よりも「なぜそれを選んだか?」という点に興味があったわけですが、説明文を読んで「なるほど」と首肯したり、「??」と首を捻ったり。

「道具の理想は、身体の延長のように感じられることではないか。」という柴田文江氏の言葉には深く同意。もっとも自分の場合は「あらゆる道具は、人間の身体能力を拡張するために存在する」と、いささかラディカルで原理的なものではありますが。

人がその拡張された強大な力を行使しようと道具を動かすとき、たびたび本来の目的のための行動とは異なるしぐさを求められます。それがより自然な操作感になれば、ということなのでしょう。

ただ、道具をツールと捉えるかマシンと捉えるかで、どの程度までを「身体の延長」とするかが変わってくるのではないか?という疑問も。

たとえばクルマは移動行為を「より速く、快適に」するための道具。でも、人間がクルマを制御できるのは両手と両脚を介して伝える情報だけ。クルマ全体を「身体の延長」と捉えるには無理があります。やはりクルマを意のままに操るには「機械を操作する」という儀式が必要。しかしそれは、生身の人間が移動するために取る行動ではありません。しかして運転操作とは、自然な移動行為たりえるのか?

つまるところ道具のデザインには、その機能と操作方法の精査と厳密な定義が必要、ということなのかもしれません。

さて、もうひとつ気になったのが、廣村正彰氏の「架空のキャラクターに対する恋愛感情」の解説。恋愛シミュレーションゲーム、いわゆる「コンシューマーのギャルゲー」を例に「たとえ現実にはいない虚像だったとしても、その恋愛感情そのものは現実であると言えるのかもしれません。」と。

ここで「ハテ?」と思ったわけです。実は自分、コンシューマー機ってのは初代PSしか買ったことがなくて、ギャルゲーも初代「ときメモ」をやったことがあるだけなのですが、果たしてあの当時、プレイ中に「恋愛感情」はあっただろうか?と。

たしかに自分もネットで「●●は俺の嫁!」なんて言う事があるわけですが、その「二次嫁宣言」は相手が架空の存在だからこそ気軽に言えるわけで、リアルな人間に対する感情とはまったくの別モノ。

現実世界であれば、アイドルや芸能人などマスメディアによって作られた虚像の人格に対しては、そうしたことも言えるかもしれません。しかしそれは「リアルな人に対するリアルな恋愛感情」でしょうか?

いくらリアリティが高くても、それが架空の存在である限りリアルとなることはない。ギャルゲーキャラにいくら恋しても、それが報われることはない、ということぐらいオタクは知っています。アイドルやゲームキャラは、身近にいる生身の女性の代替品ではありません。それでもいいんだ、と割り切って愛でられるかどうかが、オタクライフを楽しめるかどうかの分かれ目なのではないでしょうか。

やはりオタクのレジャーとしての「恋愛シミュレーション」とリアルな恋愛は別モノではないのか、と思うのです。

うん、なんかだんだん自分がナニ言ってるのかわからなくなってきました。
ちなみにサンプルとして「アマガミ」が取り上げられ、会場にはそのデモムービーがエンドレスで流されていました。

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真面目にデザインを勉強するような場に響く、能天気な声優ボイス。なんという混沌。
うん、これはまさしく「日本のデザイン」だ!などと膝を打った次第です。

この展示は5月9日まで。
日本のデザイン2010:http://www.designhub.jp/japan/

さて、明日からは北京モーターショーについて書いていきましょうかねえ。



5月3日追記;
もし現実の恋愛がゲーム化、バーチャル化してるのだとしたら、リアリティを増した架空のゲーム恋愛とオーバーラップしているように感じられることはあるのかもしれない。

ゲームの攻略本と同じような恋愛マニュアル本やハウツー本ってのは、たしかに昔から存在していたわけで。それをゲーム感覚と捉えるというのも間違ってはいないような……

どうも自分の倫理感や思考フォーマットが古風に過ぎるんじゃないだろうか、とも思えてきました。
[ 2010/05/02 00:19 ] 日記 | TB(0) | CM(0)
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